はまー in Asia

ウズベキスタンでみる男女の恋愛と結婚観。閑散期は遺跡で。。。

11月2日〜13日まで滞在したウズベキスタン
いやー、観光したわ−。

例によって協力隊の隊員さんに訪問して、案内しまくってもらって。
ただ、この国はツーリストビザだと知り合いの家に泊まれないという縛りがあるので、すべての夜は宿に宿泊。
そして宿ごとにレギストラッツェってものをもらって、最後に出国する時まで保持しなければならないという厳しいルール。
ただぶっちゃけて言うと、出国の時に提示どころか全く何も聞かれなかったでござる。日本人だから???結局いらんかったやんけ。
あ、でもこれから旅行する方は甘く見ちゃダメ。一人入国禁止になった日本人の話を聞いた。時々抜き打ち検査が入るらしいという噂。
まあウズベキスタンに知り合いのいる人なんて少ないだろうけど。

まあ、それを除けばとても良い国ウズベキスタン
今回はヌクス(カラカルパクスタン共和国)→ヒヴァ→ブハラ→サマルカンドタシケントと西側から攻めてみた。

どこも綺麗なイスラム教建築と、ティムール様の栄光を垣間見れるので本当に観光地としては写真映えするところ。
一番印象に残ったのはやっぱりサマルカンドにあるティムール様のお墓かなあ。あとはウルグベック天文台学術の歴史的に価値ある感じはした。天文学ってわくわくするよね。
ものすごい人が良くて、安全なので、旅初心者にも意外とオススメだと思う。シルクロードでは難易度低いほうかと。

ちょっと観光シーズンを外して行ったので、結構観光地は閑散としてた。
本来は春とか秋口かな?夏は50度とかいくとこもあるらしいので。もう今回は冬に入りかけだったね。意外と暖かい日が多くてよかったけど。
で、観光シーズンを外すと何が起こるかというと、、、


あらゆる遺跡内の暗がりで、カップルがイチャイチャしてる。笑
ヒヴァのある塔なんか、50メートル位登るうちに4組もカップルがいた。階段で狭いんだよ!邪魔だよお前ら!


表立ってイチャイチャできないイスラム教の国、だからといって歴史的な建造物の中でそんなことしてていいのか?
まあそんなにすごいことはしてないんだけど。
でも学生さんとかに聞いたら、キスするだけでも結構大変なことらしくて。この国。

男は20歳くらい、女は18歳くらいで、もう親が結婚相手を探してくる。んで、まああれよあれよと結婚しちゃうらしくて。
25歳とかで結婚してないと、なんか問題があるのかと思われるらしい。
あとは結婚式の後の初夜に、女性は処女じゃないと結婚が破棄されてしまうという。翌朝にチェックするおばちゃんもいるんだとか。
(男の方は結婚前でも売春宿とかに行くみたいなんだけどね。ナイショだぜ。)
ほんとに女性は婚前交渉なんてとんでもないって言う。多分田舎ほどその縛りが強い。
まあ、イスラム教国だと珍しいことでもないんだよね。バングラとかもそういえば結構そんな感じだったみたいだし。
でも複数の若者に直接話しを聞けたのはこの国が初めてだったので、なんかとても新鮮に感じた。

手を繋ぐだとか、キスするくらいでもかなりハードルが高いというこの国。
女性はものすごく綺麗なんだけども、手を出すのはハードルが高いので、ちょっと残念。(そもそもロシア語かウズベク語ってのもハードル高いけど。)
でもちょっと考えたのは、イスラム教の女性とだと、現代でもプラトニックな恋愛が楽しめるかもしれないなーということ。

結婚まで性行為をしないってのも、日本でも昭和くらいまではそうだったんだよね?
(あれ、そういえば平安時代とかってもっと開放的だった気がするが?)
まあ宗教の縛りがあるからわからないけど、20年後とかはもしかしたら変わってたりするのかなあ。
結婚とか性交渉について歴史を調べてみるのも面白いかも。


そんなこんなでウズベキスタンはいろいろ考えさせられる国だった。
なんだかんだで旅も終わりが近い。

ビシュケク(キルギス)→カザフスタン→タシケント(ウズベキスタン)国境通過

多くの旅ブログに習い、後続のために情報をば。
まあウズベキスタンのビザ取得についても多少面倒なところもあるんですが、それはまた他の旅ブログに譲ります。
今回は陸路の国境越えについて。カザフスタンは通過のみ。


さて、国境越えしたのは2015年11月01日→02日にかけて。
キルギスからウズベキスタンは、
①空路、もしくは
②北の方(カザフ経由)から陸路、
③南の方(オシュ→フェルガナ方面)から陸路
というのが国境越えの方法。

今回は②のカザフ経由での陸路を選択。深夜バスでだいたい14時間前後です。
21時ビシュケク西バスターミナル発→翌11時タシケントの宿(中心街)着
Guest house Sunrise Caravan Stay - Boutique, Tashkent, Uzbekistan - Booking.com
↑ここは行く先々で人にオススメしている宿。Booking.comで予約すると、国境越えとかタクシーの相場とかドルの両替レートとか親切にメールで教えてくれます。英語がちゃんと通じますし。新しくて綺麗。


では順を追ってリポートを。

まずはビシュケク市内からビシュケクの西にある大きなバスターミナルへ。
今回は別の用事があったのでその際に、バスを直接チケット売り場で予約しました。もちろん英語は通じないのでロシア語かキルギス語で。まあ片言でも単語がわかればなんとか通じます。
700ソム=1400円くらいです。
本来は多分ホテルとかの人に頼んで予約してもらうとか、ビシュケク市内に予約するところがあるんだと思います。
おばちゃんの様子だと、日によっては出てないことがあるようなので、事前に要確認、要予約です。

バスターミナルにて、余っていたキルギスソムでスニッカーズと水を購入、
食事処、待合室もあるので、多少早めに行っても大丈夫。
出発1時間前にはバスが停まってたので、僕はバス内で待っていました。
20時50分発の深夜バスで。時間は割ときっちりしてました。

23時ごろ、キルギス→カザフ国境到着。
乗客がぞろぞろ降ります。なんとなく着いてけば( `д´)b オッケー!
トイレがバス降りたら国境に向かって左の方にあるので、ここで行っとくといいです。

出国は簡単。パスポート見せるだけ。

入国は、ちょっとした入国カードを書くんですが、英語でも記述があるので特に問題はなし。
わかんなければ周りの人に聞くと、埋めるべき場所を教えてくれます。
その後荷物をチェックしてから晴れてカザフスタン入国。

出入国は30分位で終了。混んでるともう少しかかるかもしれません。
そのあとも周りの人について行くと、バスが停まっているところまでいけます。少し遠目のところに停まってたりするので、見失ってお言えていかれないように。


その後はとにかくカザフスタンを西へ。たまに給油だったりで停まります。トイレはそこでいくといいです。
10時ころ、カザフスタン出国ゲートの近くで降ろされます。バスはここまで。
降ろされるちょっと前に、バスに両替屋が乗ってきます。1ドル5000ウズベキスタンスムだというので、事前に聞いていた5500には及ばないものの、多少は必要になると思ったので5ドルだけ両替。この時点で結構な札束を得られます。これ、100ドルとか替えると大変なことになりますのでご注意を。タシケントの街中で替えられるところはあるので、この時点では少々で良いでしょう。むしろドルのままでも、細かい物以外は結構払えます。

バスを降りたら国境まで1〜2キロあるので、まあとりあえずタクシーに乗ります。歩いてもいいとは思いますが、大した額ではないので乗っちゃいましょう。乗り合いを利用できると良いと思います。僕はもう一人女の人が乗っていて、一人5000スムですみました。だいたい1ドルくらいが相場みたいです。
(ただ、ウズベキスタン国内では1〜2キロとかなら1000〜2000くらいでいけます。やっぱりボッてました。値切ることができるかはトライしてないのでわかりません。)

無事に国境に到着したら、パスポートを見せながら国境の建物の中へ。
カザフ出国は結構混んでいました。ここで20分〜30分位かけたと思います。

その後、入国手続へ。
入国カードを書きます。この入国カード、少々面倒です。
持ち込む品や、所持している通貨(スム以外の他国通貨)を細かく書かないといけません。
僕は120ドルと、バッグが二つ。って感じで書きました。通貨以外は割と適当でも大丈夫っぽいです。
※ここで記入した額以上の他国通貨は持ち出せないらしいです。ご注意を。
余談なんですが、
ロシア語でしか記載がないカードを目の前に呆然としていたら、となりのウズベキスタン人が助けてくれました。
そのおにーちゃんも、英語が話せなかったんですが、そしたら「この中に英語話せる奴いないか!」って聞いてくれて、
そしたら英語話せるお姉さんがいて、その人を介して3人がかりで僕の入国カードを完成させました。
このように、まずウズベク人の第一印象半端無く良かったわけですが、入国してからも大概いい人ばかりでした。この国好きですわ。
あ、ちなみに英語バージョンの入国カードがあるというのは二枚目を要求されたときに気づきました。最初から聞けばよかったけど、ウズベク人の親切に触れられたのでヨシとします。
※入国カードは2枚必要。控えを自分で出国時まで保管していなければならない。

入国手続を終えたら荷物を検査して晴れてウズベキスタン入国!お疲れ様でした!

この時点でだいたい11時前位。ということで14時間位かかったわけですが、陸路国境越えはなかなか面白い経験だったなあと。
他のネット情報での評判ほどウズベキスタンの入国にも手間取らなかったし、というより全く問題なくスムーズだったので、もしかしたら多少改善されたのかもしれません。


ちなみにタクシーで市内のホテルまでは30000スム。
足りなかったのでドルとスムを混ぜて払いました。まあ30分位走ったので、相場くらいかなーと思います。
ホテルの人の話だと25000くらいまでは落とせるとか?


もし同じルートを通る人がいらっしゃれば幸運を祈ります。
あと、スムはかなり不安定なので、旅の時点の両替レートは予約した宿などに聞いてみるといいと思います。
ではでは!

キルギスで思うこと。英語なんて役に立たない。時代は中国、ロシア?

このキルギスという国においては、英語なんかできても何の役に立たない。バスもタクシーもスーパーもレストランも全部キルギス語かロシア語。
たまに英語が出来る人がいるとなんかふらふら付いて行ってしまうレベル。

今回旅した、東南アジアからインドまでの間は、英語だけでけっこうどうになかった。高等教育が英語で行われているところが多かったからだ。国によっては小学校から英語だったりするし。その国々では英語はお金稼ぐのに役に立つし、ステータス的なところがあるのだ。それがこの国だとロシア語。最近は英語学ぶ人も増えてるみたいだけど。


また、文化というか政治についてもかなり考え方が変わったように思える。
この国に来るまでは、ソビエト連邦とか旧共産圏の国とかについて、全然知識を持ち合わせていなかった。今もないに等しいんだけども、日本人の友人にいろいろ話を聞いて、多少は知識を入れたつもり。その話を聞いていると、この国に住んでいるとロシアが、というかソビエト連邦という国がいかにすごい国かということがよくわかる。というかそういう風に洗脳されかかる。

日本にいた頃は、アメリカ万歳のマスコミ報道、メディアのアメリカ文化礼賛に踊らされて、旧共産圏の国々はある意味敵というか、負け犬というか、そういう感じで見ていた。自分の周りに特に関わろうとするひとがいなかったのもあり、高校の世界史でちょろっと学んだっきりロシアやその周りの国の情報はアップデートされていなかったんだなあと気づいた。多くの日本人、もしくは西側の植民地であるアジア各国の人々もそうなのではなかろうか。

やっぱり「知らない」ということは危ういもので、何かに対して思考するときは、対立意見だとかをきちんと取り入れるべきだなあと思った次第である。そのうちロシアにも行ってみたいものだ。


ともあれ明日からウズベキスタン。また新たな考え方が学べる予感。
今夜バスでタシケントに向かうのだが、陸路の国境越えは人生初。しかも多分ほとんど英語通じない気がするし。無事つけるといいなあ。

ちなみにビシュケクからタシケントは700ソム(1400円くらい)。カザフは通過するだけなので、お金はいらないはず。多少のドルは用意しておくが、トラブらないことを祈るばかり。

不安と向き合う。ジョジョはいつも僕に生きる活力を与えてくれる。

不安である。

なんで不安なのだろうか。
そもそも不安とは何か。
不安というものを自分なりに定義してみると、安心、安定、していない。ということ。
では安心、もしくは安定とはなにか?まあどちらも似たような感じなので、ここでは「安心」にフォーカスしてみる。
「安心」とは、自分が満ち足りている状態を表していると思う。
当面生活できるお金がある。友人がいる。家族が健康である。将来に続く仕事をしている。
(あれ、最初にお金が来た。まあ結局色んな物はお金で買えるわけで、これは自然なことだろう。)

即ち不安とは、欲するものが足りない状態であるということを表す。



そうそう、DIOとエンヤ婆にこんなやりとりがあった。

ジョジョの奇妙な冒険』JC14巻参照
−−−
DIO ”エンヤ婆… ひとつ尋ねるが、「生きる」とは何だ?”
エンヤ婆 ”………………「 欲するものを手に入れること」ひとことで言うなら人が生きるということは「ただそれだけじゃ」 金が欲しい、名誉が欲しい 食べ物がほしい 愛がほしい 恋人がほしい…… ヒヒ……”
DIO ”…… しかし欲する物を手に入れるとき必ず戦いが起きるなエンヤ婆?
エンヤ婆 ”たしかに………ヒヒ”
DIO ”戦いに敗れ欲するものが手に入らなかった場合……挫折感と敗北感を味わい傷つき…そして次なる戦いのとき「恐怖」を感じるようになる。……おれは「恐怖」を克服する事が「生きる」事だと思う。 世界の頂点に立つ者は!ほんのちっぽけな恐怖をも持たぬものッ! 分かるかエンヤ婆?」
−−−

僕はエンヤ婆の言うことが即ち「生きる」ことだと思うし、それは「安心」を追い求めることとほぼ同義であるといえるだろう。ここは資本主義経済下で育った人間ならば結構同意できるところなんじゃないかと思う。

しかし、DIO様の答えは更にその先を見ている。戦いに常に打ち勝ち続け「恐怖を克服すること」即ち「生きる」こと。
これは欲の果てにある一つの到達点を示していると思う。そこにシビれる憧れるゥわけだが。

DIO様の考え方でいくと、結局は個人の不安を解消するには世界の頂点に立たなければならない。ということになる。
これは人との関わりの中で優越感を感じることに喜びを感じる人間の性向としてはある意味で至極当然だ。もしかしたらザ・ワールドくらいのスタンドがあれば可能かもしれない。
そんなDIO様だが、劇中では結局「あなどれなかった」存在である承太郎にやられてしまう。これもまた、現実的な示唆であるといえよう。一度頂点に立ったつもりでも、常に自分と同等またはそれ以上の存在の出現に怯えなければならない。
つまり、戦いに勝ち続けるということは現実問題、DIO様でさえ不可能なのであり、「生きる」ことの到達点にはいつまでも辿りつけないのである。

人はなぜ「生きる」のか。争い続けるのか。
それは誰しもが恐怖を克服したいと考えているからであると、そんな結論が浮かんでくる。


やはりジョジョの劇中で、かのウィル・A・ツェペリさんもこのように述べている。
ジョジョの奇妙な冒険』JC3巻参照
−−−
”「勇気」とは、「怖さ」を知ることッ!「恐怖」を我が物とすることじゃあッ!”
−−−

なんということであろう。ツェペリさんも、DIO様も、考える対象が「人生」と「勇気」という違いはあれど、重要な事は「恐怖」の克服にある、という点では同じ結論に達しているのだ。もっとも、DIOは100年後に気がつくのだが。


上記を踏まえると、
「恐怖」の克服にはどういった方法が取れるのか?
というのが人生の命題になると考えて良さそうだ。



さて、冒頭に戻るが、
「不安である」≒「恐怖を感じている」ということは、それを克服することで成り立つ「生きる」ための前提条件であると言ってもいいのだろう。
「不安である」ということは、自分が世界の頂点に立っているのでなければ(立っていたとしても)至極当然に感じる心持ちなのである。
「不安である」をそのままにしてしまうということは「生きる」ことを放棄していると言っても過言ではないのかもしれない。恐怖を勇気をもって克服するためのアプローチこそが「生きる」ことなのだから。

ということで、
克服する方法を見つけようとする限り、「不安」を感じているのはいいことだ。
という結論に達したところで本日はここまで。

Windows10をインストールしたらキーボードが動かない→解決

友人のトラブルシューティングをしたので経緯と解決法を記載。
僕自身はMacユーザーなので、画像等の解説はないということをご承知おき頂きたい。

結論としては、余計なドライバを除くことで解決する。

今回も思ったのは、日本語で検索してもなかなか役立つ情報がない
→みんなせっかくUpgradeしたのをDowngradeして解決している
→結局解決方法が見つからない
という負の連鎖に陥っており、僕達も見つけられなかった。

→じゃあ英語で探そう。やっぱりGoogleるとき英語は強いっすね−。

解決の参考にしたのはこのフォーラム
Keyboard not working properly after installing windows 10? - Page 3 - Windows 10 Forums

のあるレス
"Yes! This is a solution I can use!
Rigth click at the Windows Icon, Select "Device Manager" (Enhedhåndtering in Danish)
Select and expand "Mouse and pointing Devices"
Right click at "Lenovo Pointing Device" and select remove.
Restart Your PC, and the Keybord work correct now. (And if You look at the Lenovo Pointing it is active again, it seems to be a conflict that happend due to the sequence the are loadet in)"

この投稿自体は "Lenovo Pointing Device" と言っているが、何か余計なドライバが入るということがありうるということが認識できたため、キーボード、マウスあたりの余計なドライバ探して、消しても問題なさそうなものを見つけ、削除。
(今回、悪さをしていたのはMouseのドライバ。ELANなんちゃらというメーカーのものであった。Lenovoのキーボードドライバも何故か入っていたが、そっちの方はほっておいても大丈夫なようだ。)

設定→デバイスマネージャー→マウスのところで削除。
再起動したらキーボードが動くようになりました。

※追記:こっちのほうがわかりやすいかも
Windows 10にアップグレードしたあと、キーボードとタッチパッドが正常に動作しない - Lenovo Miix 2 11 - Lenovo Support (JP)

どうやら、Windows10をインストールすると、その際に幾つかドライバも自動でインストールされるらしいのだが、この際にキーボード、マウス周りに余計なドライバが入る模様。なぜかはわかりません。多分バグです。これだからWinは あと、多分PCにもよります。
一応、友人のPCはASUSのノートパソコン。


行き詰まっていたらお試しあれー。

禍福は糾える縄の如し in India オタク文化は世界を繋ぐ

デリー滞在7日目の昨日は、弟が日本語スピーチコンテストに出るので応援に行った。
…弟が何故インドにいるのか?弟はインド人だからだ。

事の顛末は、初日のバス乗車におけるスリに始まる。
少しでも旅費を節約することと、ローカルバスに乗ってみたかったことがあって、空港からの道すがらバスに乗ったのだ。いま思えばあんな大荷物でそうしたことは狂気の沙汰と言える。しかもかなり都心に近かったため、バスはほぼ満員と、結果は火を見るよりも明らかという状況だった。
さて、スられたことにはすぐ気付いたが、後の祭り。すでにスリは下車していた。一度、「マイウォレット、
ストールン」と叫んだが、バカな日本人旅行者を眺める以外にはインド人もなすすべがなかったようで、反応はなし。
落ち着け。とりあえず素数を数えるんだ。1,2,3,5,7,11...いやいや何取られたか確認しろ。財布に入っていたのは現金とカード2枚。何故分散させていなかったのか。まあ考えても仕方がない。とりあえずケータイはある。空港でアクティベート手続きをしたばかりだ。使えるまでもう少しかかる。とりあえずホテルにたどり着こう。Wi-Fiが使えるのでインドの友達に連絡はできる。相談して考えよう。それにしても、ああ口惜しや口惜しや。もう日本帰らんといかんかなー。。。


などと考えながらホテルに辿り着き、なんとか連絡をすることに成功。その友達はデリーから少し離れたところにいるので、すぐには来られないので、デリー中心部に住む日本人を紹介してくれるとのこと。

夜にもかかわらず、お金を貸すだけのために宿の近くまでご足労いただいた彼女には、感謝しても仕切れない。しかも翌日は彼女の家にお邪魔させていただくことができるという。初対面の人間にそこまでしていいものか?なんかあっても知らんぞ?これが友達の友達パワーか…とりあえず当面の生活費として500ルピーをお借りする。
(日本円にして1000円くらいだが、そこらの屋台なんかであれば50ルピーあれば一食賄えるので、かなり余裕ができた)

と、翌日はその彼女に観光案内をしてもらう。そしてなんだか彼女の知り合いのインド人が泊めてくれるということだ。自分としても、一人暮らしの女性の家に泊まるというのは非常に嬉しいことの反面色々と不安な面もあったため、その方がいいねと返答。そして夕方、ダンキンドーナツにてそのインド人と合流。

「ナイストゥミートュー」
「こんにちは、初めまして。よろしくお願いします。」

お分りいただけただろうか。カタカナを発したのが私であり、流暢な日本語を発したのがイケメンインド人である。
その後アニメや漫画の話ばかりになり、『めだかボックス』の話をしたところで盛り上がりは最高潮に達し、インドに弟が出来たというわけだ。

さて、彼の家にはもう一人、双子の弟がいた。彼はさらに輪をかけたオタクであり、『ソードアートオンライン』の小説の話をしたところで心が通じ合ったことは言うまでもない。ここに2人目の弟が現れたわけだ。

そして、彼らのお母さん、すでに僕の第二の母でもあるわけだが、はあっという間に私のことを息子にしてしまった。ベジタリアンの家庭料理は、毎日腹一杯を通り越して食うくらいうまかった。ダンニャバ、おかーさん。

以上がデリーにおける僕の物語だ。2、3日のつもりが結局初日以外をこの第二の実家で過ごした。観光なんて全然していないのだが、弟たちにくっついて過ごしたデリーは、普通の旅行ではできない体験だっただろう。

本当に得難いものを得た。必ずインドにはまた戻ってくる。今度は南インドを弟たちと旅したいと思う。


最後に、スリのおっちゃんだかにーちゃんだかわからんけど、俺の財布を盗ってくれてありがとう。

ネパールは大国に挟まれる日本と似たような位置付けの国

ネパールには2週間くらい滞在。もうすでにインドに来ているが、遅ればせながら感想をまとめる。油断すると全然更新しなくなるなー。反省。

そもそも今回は結構不味いタイミングでのネパール訪問であった。というのも、憲法制定が先日あったネパールでは、南部で不平からのストがあり、プラスインド政府のなんだかよくわからない(多分理由があるんだと思うが少なくとも俺には理解できなかった。)国境封鎖があり、ガソリンがかなり手に入りにくいという危機的な状況だったから。

貴重な燃料を外国人である自分が観光に消費してしまうというのに若干引け目を感じつつ、観光産業に貢献するという建前でカトマンズ、シンズリ、ポカラという場所を訪れた。

感想としては、とりあえずやっぱりいい国だなという印象。人は親切だった。そしてポカラの景色のいいこと!ヒマラヤがほぼ全日見えたのはとても幸せなことでした。いい天気でラッキーだった。


そして問題だなーと感じたのは産業が観光に頼りっきりというところ。しかも中国とインドという大国にはさまれているので、逃げ場がない。

今回逆に良かったと思うのは、大国に従わざるを得ないという立場の低さが露呈していたのを目の当たりにできたこと。

日本もアメリカと中国という大国にはさまれているので(まあ海があるので国境封鎖には陥らないかと思うが)立場的には似たようなところがあるが、先人の努力の甲斐あって日本はプレゼンスを確立できているので、かなり違った状況である。
まあ実際に日本が色々と弱い立場にあるというのが否定できないという側面もあるようだけど、そこについては色々と難しいのでまた別の機会に。

ネパールの人々は農耕民族だし、真面目な印象も受けたので、これから是非経済発展をしていって欲しいなと思った次第。IT産業とかいけるかなあ。また何か理由をつくって訪れたいとおもう。なんにせよサガルマータ(エベレスト)は見に行くけど。

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