データと処理能力がモノをいうAI主義社会は更なる独占の時代になる
富める者がますます富むのが資本主義の世界であるならば、これからは、AI主義の世界がやって来る。
2017年も3ヵ月が過ぎたが、ここに来て、AIを取り扱う企業の買収、技術者の獲得に、AGFA(Apple, Google, Facebook, Amazon)などのモンスター企業が更に躍起になっているように見受けられる。これらの各企業は、AI技術の開発を非常に急いでいるようだ。
何故か?
それは、AIという産業分野が、雪だるま式に発展するからである。
Deep Learningという技術が広まり、今のAIは、大量のデータを処理することによって飛躍的にその精度を高められるようになった。今、高度なAIの開発には、データの量、その多大なデータの処理をこなす計算資源がより重要視されている。
高度なAIの開発には、多量のデータと計算資源が必要。
こうなると、何が起こるか。データをたくさん持っている企業といえば、もちろん先に挙げたインターネットの覇者とも言えるAGFA(Apple, Google, Facebook, Amazon)である。
これらの企業は資金も潤沢であるため、持っているデータをふんだんに処理サーバーに使ってAIを開発することができる。
そして高度に発展したAIを利用したい個人、企業は、そのAIを使うためにデータを提供する。すると更にそのAIは学習ができるため、精度を上げることができる。
あとはエンドレスだ。富めるものが益々富むという資本主義社会と似たように、AI資源に富める企業が更に富むというAI主義社会が出現するわけである。
AIのためのデータ集め競争
AI分野で、いかに早くベースとなる牙城を構築できるかが、その後の発展にも関わる。そのためにAI開発に関わる企業はユーザーからデータを集めることに躍起になっているようだ。
GooglePhotoがストレージを無料で提供するのも、IBMがワトソンを企業に使わせるべくプロモーションしまくっているのも、全てはデータを集めるため。ここで頭一つ抜けるためのスタートダッシュは、今後のAI産業分野で生き残り、成長するために必須の行動なのである。
ここから数年のスタートダッシュで生き残った企業こそが、次代のAI主義社会に独占的に世界を支配する企業となるのだろう。
LINEでの予約フォームを飲食店が導入しなければならない理由
今回、日本に帰ってきて困ったことがあった。お店の予約である。
僕は普段、ミャンマーのヤンゴンで暮らしており、今回は2週間の一時帰国をしている。
主戦場がミャンマーである僕の持っている電話番号は、ミャンマーの番号であるのだ。
つまり、僕の電話番号は日本では使えない。
日本滞在を始めた日、僕はOCNのシムカードをヨドバシで買い、10ギガバイトで3000円くらいのプランに入ったわけである。
電話?そんなもんに追加で1000円も払うのはアホらしい。そもそも日本で電話なんてしない。通話するならLINE、メッセンジャー、Skypeがあるから全然不自由しないし。
……ところが不自由、したのである。飲食店の予約ができない。
ほぼ半年ぶりの日本で友達と会うとき、東京の美味しいお店の予約をしたいわけだが、「予約は電話でお気軽に!」と言われても電話番号なんてないのである。
仕方が無いので友達に電話を借りて予約するが、予約する際に「ご連絡先の電話番号をお教え頂けますか?」と言われても、「実家の番号でいいですか?」と返さざるを得ない。店側は承諾してくれたが、実家の番号に電話をしたとしても僕に連絡が届くまでには非常に大きなタイムラグが発生するだろう。緊急の連絡などできようがない。
デートのの相手側にお店の予約を頼むのも無粋であるし、ほとほと困ったものである。
と、いうことでつらつらと書いたけど、結局何が言いたいかと言うと、もっとLINEボットとかメッセンジャーボットで予約できるようにするべきだよね?ということ。
インバウンドの観光客も求めている。短期間の滞在でわざわざ電話番号つきのシムカードなんて買うわけがない。
予約システムと連携させれば店側の手間も減るだろうし、営業時間外でも予約を受けられる。
電話番号での通話はこれからどんどん死滅していくということを、飲食店のみならず色んなコンシューマ向けのサービスはよく考えるべきだと思う。
登録フォームなんかで電話番号を求められて困る場面が結構あるのだ。
もういっそのこと全部Facebookログインで良くない?(笑)
金融屋がたとえ生産性のない寄生虫であったとしても、結局は最強の権力を持つ理由
金融の強さの本質はどこにあるのか。
まず、金融屋の仕事とは何だろうか、と考えてみる。
それは「余っているお金を、必要な人に届ける」という非常にシンプルなものである。
そういった意味では、ライドシェアのUBER、Airbnbなどともやっていることの本質は一緒なのだと気がついた。だからこそああいったプラットフォームは強いのだろう。
また、前の記事
で、お金は「最高に便利な道具」だと書いた。金融屋は、この道具を集めてきて又貸ししているわけだ。
つまり、金融の仕事とは「最高に便利な道具のシェアリングエコノミー」なのだ。最強のビジネスであることは自明である。
一つ一つでは役に立たないものを集めて大きな力にして利用する。それが金融機関の本質なのだ。ここはクラウドファンディングと同じ。
違うのは、不特定多数から借りて不特定多数に貸すというところだ。そこには、想いは介在しない。あるのは単純な数字である。
おそらく、この「数字のみ」で判断せざるを得ないというビジネスモデルが、金融に冷たい印象を与えているのではないだろうか。
僕が金融を毛嫌いしていたのは、ここに理由があったんだろう。
資本主義社会において、「お金を持っている」ということは「自由に使えるパワーを持っている」とも言い換えられる。過去、ユダヤの人たちはこの事実に気がついたからこそ金融を始めたのだと思う。
お金の本質は「信用」であることは堀江貴文さんをはじめ、いろんな人が解説しているので割愛するが、その考え方の逆を言うと、信用がなくとも使えるオールマイティのカードが「お金」と言える。
本当にその人に信用があるか、ということは別として、お金を持っている人には「力」が備わる。
するとこの人本人に信用がなくともある程度のことが出来るのだ。アドバンテージは多大である。
たとえ、金融屋がお金を集めているだけの生産性のない寄生虫であっても、そこにお金が集まる限り、その力は雪だるま式に拡大するばかりなのである。
ぼくがかんがえたさいきょうのお金儲けの仕組み
最近考えることに、お金の儲け方、というのがある。会社の新規事業なんかを考えたりしていると、どうやってマネタイズするのか?という所に、本意でなくともやはり思考が及ぶ。
さて、一番儲かるビジネスとはなんだろう?
僕の出した答えは、金融だ。
世の中は、個人にしろ法人にしろ、お金を媒介にして回っている。この、「みんなが使える道具」を供給するというモデルは非常に強い。
例えば、古い話だが、ゴールドラッシュの時に儲けたのはジーンズやツルハシの会社だったという。最近の話でいえば、AIが持て囃されてまともにマネタイズが出来ているのはGPUを扱う会社だったり、サーバー会社だったりするのである。
金鉱脈を発見するのも、AI事業をマネタイズするのも、おそらく一部の限られた人たちだろう。そこには博打が伴う。
だが、そこに使う道具を供給すれば、安定的かつ莫大な利益が得られる。
また、FacebookなどのSNSもそういう風に捉えられる。
コミュニケーションという「誰もが求める鉱脈」を発掘するためのツールだからだ。
そういった意味では、今の世の中の(ほぼ)何とでも交換可能な、お金という「非常に便利な誰もが欲しがる道具」を扱う事業は、儲かるに違いないのだ。
と、ここまでが今日の思考の帰結。
原理原則的には、「みんなが使う道具」を扱えば儲かる。
ところで
その昔、いや、割と最近まで僕は金融屋が嫌いだった。何故か?彼らは何も生み出していないと思っていたからだ。
大衆から利子を取って搾取する資本主義の権化。自分達では何も生産しない寄生虫。そんな風に見なしていた。
続く……
ミャンマーに来て1年経ったけど、ミャンマー語喋れるようにならなかったよ!
ということで家庭教師をつけました。
文字がわかるようになる。するとどんどん言葉がクリアになってくる。
今まで漠然と聞いていた言葉がパズルのピースがハマるようにわかってくる。
なぜもっと早くやらなかったのか。
これは将来他の国で働くときにも重要な点だと思うのでメモ。
現地語ができるに越したことはない。現地の人とフランクに話せるようになるのはとても大事。
僕はPNGで何を学んでいたのか。。。
語学に必要なもの
- コツコツやれる環境
- 不便さに対するフラストレーション
- 下心
上記が足らなかったのか?
- コツコツやれる環境
→周りにミャンマー人は居るが、定期的に勉強するような環境ではなかった。
- 不便さに対するフラストレーション
→ミャンマーの人は結構英語ができるのでそんなに必要でなかった。うちのマネージャは日本語話せるし。
- 下心
→足らなかったんだろう。そこまでの情熱を持てなかった。
今までかなりの機会損失をしていたということを肝に銘じる。
10億円もらったら、人に理解されないようなことに使う。
10億円を突然もらったら何に使うか?
みたいな話が某所で久しぶりに話題になっていたので、真剣に考えてみた。お金の価値というものを再考したいのもあって。
なんにせよ使い切る。残さない。
少しは生活のために残しておきたいなあ。などとは考えない。明日くたばるかもしれないし。
人間を繋ぐために使う
学校を作る
自分の思い通りになる学校を作りたい。社会の要請に応えるような学校じゃなくて、生徒がほんとうの意味で楽しめるような理想環境を作る。
5年限定ベーシックインカム制度やる
年間120万円×5年なら600万円、100人でも6億でいける。
時間を作るために使う
便利なところにジム付きのオフィスを構える
最近感じるのは、お金はどうにかなるが時間はどうにもならない、ということ。時間の創出のために、環境に投資するのは非常に有意義だと思う。
理由と思考の道筋
まず考えたのは、お金がないとできないことってなんだろう。ということ。
金融業? 不動産業? 宇宙開発? 大規模インフラ開発?
でもこのあたりは、資金を調達すればできることだよね?
誰かのお金を運用することも可能である。ということを考えると、お金がないとできないことって、突き詰めてみると存在しないんだよね。
納得できるビジネスモデルと熱意があれば、お金は調達できる。最近はクラファンとかもあるし。
違いは、それが「自分のお金」か、「他人のお金」かということ。
人に理解されないような使い方を。
ということは、自分の所持しているお金は
「人に理解されないような使い途」
に使うべきだ。ということ。
そんな基準で考えてみた。みなさんはどうでしょう?
まともな情報発信するんならMacでしょ
スマホ全盛のこの時代だけど、やっぱりMacBook*1がいいよね。という話。
情報を編集して発信するならMac(ノートorデスクトップ)一択
インプットならばスマホ一択。
どこでも手軽にスキマ時間を使える、というのは非常に便利。
情報に振り回されると、それはただの情報と自分の時間の「消費」になってしまうけど、アウトプット前提であれば、それは「インプット」になります。
最近はスマホを四六時中手にしていないと落ち着きません。仕方ないよね。面白い情報がたくさん流れてくるんだから。ここは僕は結構肯定的です。四六時中情報収集してると、情報処理能力は高まると思います。