はまー in Asia

LINEでの予約フォームを飲食店が導入しなければならない理由

今回、日本に帰ってきて困ったことがあった。お店の予約である。

 

僕は普段、ミャンマーヤンゴンで暮らしており、今回は2週間の一時帰国をしている。

主戦場がミャンマーである僕の持っている電話番号は、ミャンマーの番号であるのだ。

つまり、僕の電話番号は日本では使えない。

 

日本滞在を始めた日、僕はOCNのシムカードをヨドバシで買い、10ギガバイトで3000円くらいのプランに入ったわけである。

電話?そんなもんに追加で1000円も払うのはアホらしい。そもそも日本で電話なんてしない。通話するならLINE、メッセンジャーSkypeがあるから全然不自由しないし。

 

……ところが不自由、したのである。飲食店の予約ができない。

ほぼ半年ぶりの日本で友達と会うとき、東京の美味しいお店の予約をしたいわけだが、「予約は電話でお気軽に!」と言われても電話番号なんてないのである。

仕方が無いので友達に電話を借りて予約するが、予約する際に「ご連絡先の電話番号をお教え頂けますか?」と言われても、「実家の番号でいいですか?」と返さざるを得ない。店側は承諾してくれたが、実家の番号に電話をしたとしても僕に連絡が届くまでには非常に大きなタイムラグが発生するだろう。緊急の連絡などできようがない。

デートのの相手側にお店の予約を頼むのも無粋であるし、ほとほと困ったものである。

 

と、いうことでつらつらと書いたけど、結局何が言いたいかと言うと、もっとLINEボットとかメッセンジャーボットで予約できるようにするべきだよね?ということ。

 

インバウンドの観光客も求めている。短期間の滞在でわざわざ電話番号つきのシムカードなんて買うわけがない。

予約システムと連携させれば店側の手間も減るだろうし、営業時間外でも予約を受けられる。

 

電話番号での通話はこれからどんどん死滅していくということを、飲食店のみならず色んなコンシューマ向けのサービスはよく考えるべきだと思う。

登録フォームなんかで電話番号を求められて困る場面が結構あるのだ。

もういっそのこと全部Facebookログインで良くない?(笑)

金融屋がたとえ生産性のない寄生虫であったとしても、結局は最強の権力を持つ理由

金融の強さの本質はどこにあるのか。

まず、金融屋の仕事とは何だろうか、と考えてみる。

それは「余っているお金を、必要な人に届ける」という非常にシンプルなものである。

そういった意味では、ライドシェアのUBERAirbnbなどともやっていることの本質は一緒なのだと気がついた。だからこそああいったプラットフォームは強いのだろう。

 

また、前の記事

hamakihito.hatenablog.com 

で、お金は「最高に便利な道具」だと書いた。金融屋は、この道具を集めてきて又貸ししているわけだ。

 

つまり、金融の仕事とは「最高に便利な道具のシェアリングエコノミー」なのだ。最強のビジネスであることは自明である。 

一つ一つでは役に立たないものを集めて大きな力にして利用する。それが金融機関の本質なのだ。ここはクラウドファンディングと同じ。

違うのは、不特定多数から借りて不特定多数に貸すというところだ。そこには、想いは介在しない。あるのは単純な数字である。

おそらく、この「数字のみ」で判断せざるを得ないというビジネスモデルが、金融に冷たい印象を与えているのではないだろうか。

僕が金融を毛嫌いしていたのは、ここに理由があったんだろう。

 

資本主義社会において、「お金を持っている」ということは「自由に使えるパワーを持っている」とも言い換えられる。過去、ユダヤの人たちはこの事実に気がついたからこそ金融を始めたのだと思う。

 

お金の本質は「信用」であることは堀江貴文さんをはじめ、いろんな人が解説しているので割愛するが、その考え方の逆を言うと、信用がなくとも使えるオールマイティのカードが「お金」と言える。

本当にその人に信用があるか、ということは別として、お金を持っている人には「力」が備わる。

するとこの人本人に信用がなくともある程度のことが出来るのだ。アドバンテージは多大である。

 

たとえ、金融屋がお金を集めているだけの生産性のない寄生虫であっても、そこにお金が集まる限り、その力は雪だるま式に拡大するばかりなのである。

ぼくがかんがえたさいきょうのお金儲けの仕組み

最近考えることに、お金の儲け方、というのがある。会社の新規事業なんかを考えたりしていると、どうやってマネタイズするのか?という所に、本意でなくともやはり思考が及ぶ。

 

さて、一番儲かるビジネスとはなんだろう?

僕の出した答えは、金融だ。

 

世の中は、個人にしろ法人にしろ、お金を媒介にして回っている。この、「みんなが使える道具」を供給するというモデルは非常に強い。

 

例えば、古い話だが、ゴールドラッシュの時に儲けたのはジーンズやツルハシの会社だったという。最近の話でいえば、AIが持て囃されてまともにマネタイズが出来ているのはGPUを扱う会社だったり、サーバー会社だったりするのである。

金鉱脈を発見するのも、AI事業をマネタイズするのも、おそらく一部の限られた人たちだろう。そこには博打が伴う。

だが、そこに使う道具を供給すれば、安定的かつ莫大な利益が得られる。

また、FacebookなどのSNSもそういう風に捉えられる。

コミュニケーションという「誰もが求める鉱脈」を発掘するためのツールだからだ。

 

そういった意味では、今の世の中の(ほぼ)何とでも交換可能な、お金という「非常に便利な誰もが欲しがる道具」を扱う事業は、儲かるに違いないのだ。

と、ここまでが今日の思考の帰結。

原理原則的には、「みんなが使う道具」を扱えば儲かる。

 

ところで

その昔、いや、割と最近まで僕は金融屋が嫌いだった。何故か?彼らは何も生み出していないと思っていたからだ。

大衆から利子を取って搾取する資本主義の権化。自分達では何も生産しない寄生虫。そんな風に見なしていた。

続く……

 

ミャンマーに来て1年経ったけど、ミャンマー語喋れるようにならなかったよ!

ということで家庭教師をつけました。

文字がわかるようになる。するとどんどん言葉がクリアになってくる。
今まで漠然と聞いていた言葉がパズルのピースがハマるようにわかってくる。

なぜもっと早くやらなかったのか。

これは将来他の国で働くときにも重要な点だと思うのでメモ。
現地語ができるに越したことはない。現地の人とフランクに話せるようになるのはとても大事。
僕はPNGで何を学んでいたのか。。。

語学に必要なもの

  • コツコツやれる環境
  • 不便さに対するフラストレーション
  • 下心

上記が足らなかったのか?

  • コツコツやれる環境

→周りにミャンマー人は居るが、定期的に勉強するような環境ではなかった。

  • 不便さに対するフラストレーション

ミャンマーの人は結構英語ができるのでそんなに必要でなかった。うちのマネージャは日本語話せるし。

  • 下心

→足らなかったんだろう。そこまでの情熱を持てなかった。

今までかなりの機会損失をしていたということを肝に銘じる。

どこに力点を置くか

やっぱり下心でしょう。
幸い(?)、ミャンマー人で可愛い子が友達に増えてきたので、最近のフラストレーションは結構溜まってきている。
3ヶ月後くらいには可愛いミャンマー人の彼女とミャンマー語をゲットしていたいものです。

10億円もらったら、人に理解されないようなことに使う。

10億円を突然もらったら何に使うか?

みたいな話が某所で久しぶりに話題になっていたので、真剣に考えてみた。お金の価値というものを再考したいのもあって。

なんにせよ使い切る。残さない。

少しは生活のために残しておきたいなあ。などとは考えない。明日くたばるかもしれないし。

人間を繋ぐために使う

学校を作る

自分の思い通りになる学校を作りたい。社会の要請に応えるような学校じゃなくて、生徒がほんとうの意味で楽しめるような理想環境を作る。

5年限定ベーシックインカム制度やる

年間120万円×5年なら600万円、100人でも6億でいける。

時間を作るために使う

便利なところにジム付きのオフィスを構える

最近感じるのは、お金はどうにかなるが時間はどうにもならない、ということ。時間の創出のために、環境に投資するのは非常に有意義だと思う。

今までやったことがないことを体験してみる。

  • 宇宙旅行
  • 行ったことない国に行く
  • 勢の限りを尽くしたご飯を食べてみる
  • 超高級風俗で遊ぶ。

↑欲のたぐいですね。これはわりと単純。

理由と思考の道筋

まず考えたのは、お金がないとできないことってなんだろう。ということ。
金融業? 不動産業? 宇宙開発? 大規模インフラ開発?
でもこのあたりは、資金を調達すればできることだよね?
誰かのお金を運用することも可能である。ということを考えると、お金がないとできないことって、突き詰めてみると存在しないんだよね。
納得できるビジネスモデルと熱意があれば、お金は調達できる。最近はクラファンとかもあるし。
違いは、それが「自分のお金」か、「他人のお金」かということ。

人に理解されないような使い方を。

ということは、自分の所持しているお金は

「人に理解されないような使い途」

に使うべきだ。ということ。

そんな基準で考えてみた。みなさんはどうでしょう?

まともな情報発信するんならMacでしょ

スマホ全盛のこの時代だけど、やっぱりMacBook*1がいいよね。という話。

情報を編集して発信するならMac(ノートorデスクトップ)一択

Macの良いところ

  • タイプがし易い。
  • 複数の情報を画面に出して参照しながら書くことができる。4本指スワイプ便利。
  • ダーッと書いた情報を、全体の構成を考えながら段落ごととかに並べ替えるのが楽。

情報をまとめて、自分の頭で考えたことを吐き出して、それを編集して一つの記事にする。
そんなふうにしてまともな記事を書こうと思ったら、スマホだけでやるというのはかなり大変。
いまのところ、スマホではできないんですよ。少なくとも僕は。
※もしいいツールがあったら教えてください。

情報参照なんかしないでも、頭のなかで編集しながら一気に書ける、という頭の構造のどうかしている方はお呼びでないです。

インプットならばスマホ一択。

どこでも手軽にスキマ時間を使える、というのは非常に便利。

情報に振り回されると、それはただの情報と自分の時間の「消費」になってしまうけど、アウトプット前提であれば、それは「インプット」になります。
最近はスマホを四六時中手にしていないと落ち着きません。仕方ないよね。面白い情報がたくさん流れてくるんだから。ここは僕は結構肯定的です。四六時中情報収集してると、情報処理能力は高まると思います。

インプットした情報を編集をして世に出す。

ちゃんとアウトプットしないとインプットが無駄になる感じがしてもやもやするので、Macをアウトプット用編集ツールに。

結局使いわけの問題なわけです。

  1. インプットはスマホ
  2. コメントとかの小さなアウトプットもスマホ
  3. 頭使った大きいアウトプットはMac

こういう考え方がMacでのアウトプットのハードルを自分で上げているのかもしれないなあ。。。
まあ、そのくらい気合を入れて書かないと読んでくれる方に失礼ですからね。
適当なまとめブログなんかとは違うのですよ!

ではではまた。

*1:PCと書くとWinになってしまうのであえてMacBook。ちなみにMacBookAir使いです。

血液型占いが性格に関係してしまう日本人の不思議を解明する

初対面で相手に血液型を質問する人って、情報リテラシーが低いな、とどうしても感じてしまいます。

「血液型別性格診断」は大規模な集団催眠

[caption id="attachment_201" align="alignnone" width="640"]World Blood Donor Day World Blood Donor Day[/caption]

結論から言うと、僕は血液型別性格診断(以下、血液型占い)を全く信じていません。

いやいや、結構当てはまるでしょ。という人。これは貴方のために書いた記事ですので、是非最後まで読んでいただきたいと思います。

血液型で性格が決まる、というのは、ただの思い込み。むしろ、集団催眠なんです。

これからそれについて説明を書いていこうと思いますが、そもそも僕がこんな風に血液型について考え、書きたくなったのは、僕の原体験が元になっていますのでちょっとお話を。

自分の血液型を知らないと、血液型占いを信じようがない。

僕は高校に入る頃まで、自分の血液型を知りませんでした。なんだか小さい頃から大した怪我もなく、血液を採取するようなイベントもなかったようで、知る機会がなかったんですね。なので、プロフィール帳みたいなのにも、血液型欄は「?」と書いていました。みんなには「秘密!」みたいに受け取られてたんでしょうか。

結局、高校に入ってから献血を初めてやってみるまで、誰も僕のことを血液型でカテゴリ分けできなかったんですね。

中学の頃までは、友達とかに、「はまーはA型だよね?」なんて言われても、「そうなのかもね」としか返せませんでしたが、「えー、絶対A型だよ!真面目だもん!」とか言われたりしてました。これが中学の頃優等生だったときの話です。

血液型に左右される僕の性格

しかし、高校に入ると、僕は名実ともに突如O型になりました。血液型が判明してからは、「はまーは確かにO型だよ。大雑把だもん。」とか言われたりしてました。

ちなみに、中学で真面目だったA型のような僕は、高校では結構なサボり魔になりました。卵が先か、鶏が先か、というのはわかりませんが、周りからのこうした「O型ってこうだよね」というような情報に僕も毒されたために、なんとなく大雑把な性格になったのかもしれません。

「O型だし、サボってもいいか」というように考えられるようになったんでしょうか。サボり魔の性格になったのを血液型のせいにしています。。。でも「大雑把でサボり魔のO型の方々、失礼しました。」とは言いません。だって僕はこのカテゴリ分けの仕方、信じてませんし。

血液型占いは、日本人にだけあてはまる。

ところで、こういう話をすると、「血液型占いを信じているのは日本人だけだ。世界を見てみろ」というような論が出てきます。だってアメリカに住んでる黒人の方々は8割がA型なんですからね。彼らがみんな同じ性格のわけないでしょう。

[caption id="" align="alignnone" width="664"]「社会実情データ図録」さんより 「社会実情データ図録」さんより[/caption]

参考リンク:血液型占いにすっかり洗脳されている皆さまの目を覚ます呪文について

ただ、今までの主張とは矛盾するようなことを言うようですが、日本人に限って言えば、血液型別性格診断は結構当てはまるようです。

おそらく、A型の人はA型らしい几帳面な、B型の人はB型らしい奔放な、O型の人はO型らしいおおらかな、AB型の人はAB型らしい二面性を持った、というような各々の性格に合った扱いを周りからされることで、自分をどんどんその方向にアジャストしていくんでしょう。

すると、A型の人はよりA型らしく、B型の人はより、、、というように、更にその信憑性は増していき、結果として日本人全体が集団催眠にかかったような状況になります。「結婚は尊い」という思い込みと同じですね!

上記のように、僕の性格が血液型の判明によって変わったのも、無意識下に「O型の性格はこう」というような刷り込みが行われたからだと思います。今では色んな根拠から、全く信じていないので、影響は微々たるものだと思いますが。

血液型でカテゴリ分けをする前に、聞くことがあるでしょう?

最近、血液型を聞いてくる人に対して、僕は「なんでそれを聞くの?」という風に聞き返すようにしています。

だいたい返ってくる答えが「なんとなく」です。以下、この間の飲み屋でのやりとり。

僕 「ふーん。別にいいけど。O型だよ」 相手「あ、やっぱり。」 僕 「え、何がやっぱりなの?」 相手「私、O型の人とは気が合うんだよね。」 僕 「ふーん。俺は ”O型の人とは気が合う” と短絡的に言うような人とは、気が合わないんだよね^_^ニッコリ」

その後連絡がありません。

いいんだ。別に。可愛かったけど。

でもやっぱりそういう「なんとなく」の質問って、ちっとも僕のこと知ろうとしてないよね。もっとこう、天気とか、血液型の話じゃなくって、好きな映画は?とか、好きな色は?とか、好きな食べ物は?とか、日本酒好き?とか。そういう話をしようよ。お互いを知り合いたくて話をするのに、血液型なんかの話に時間を割くのは無駄でしょう?

ほんと、日本人ってカテゴリ分けするの好きですよね。

あ。僕も ”日本人” ってカテゴリ分けしてる。。。でも、そういう人ホントに多いんだもの。今後、そうじゃない日本人が増えることを期待します。

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